築城年代は定かではないが一向一揆によって築かれた。
弘治元年(1555年)越前朝倉氏が加賀に侵攻して日谷城を攻め落としている。その後、朝倉氏の城となっていたようで、永禄10年(1567年)朝倉氏と一向一揆の和睦が成立すると、和睦条件として朝倉氏は日谷城を焼き払って退却している。
天正3年(1575年)朝倉氏を滅ぼした織田信長は戸次右近広正を日谷城に配している。
日谷城は標高約110mほどの山に築かれており、現在は登山道が整備されている。
主郭は山頂にあって東西に長く、その下方を取り巻くように二郭がある。北東に伸びた尾根にある曲輪は下方に横堀と竪堀を組み合わせた遺構が確認できる。
登り口は東側の道路沿いにあり、道標が出ている。駐車場はないが登り口付近に路駐できる。
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