築城年代は定かではない。加賀国守護職富樫氏の家臣槻橋の居城と伝えられる。
槻橋氏は長享2年(1488年)一向一揆によって富樫政親が自刃したとき、伴に自害した三十人余りの武将の中に槻橋近江守重能、槻橋三左衛門、槻橋式部丞、槻橋弥六、槻橋三位坊の名が残っている。
槻橋城は月橋町の東側、倉ヶ嶽から派生した山塊の尾根が南西に伸びた標高221mの通称御蔵山に築かれている。
主郭は山頂にあって方形区画で分厚い土塁が巡り、南と西に虎口が開く。北東の尾根は幅広の堀切で断ち切っている。
主郭から南西に伸びた尾根に階段状に曲輪が連なり、南下には堀底道が付いている。
月橋町から倉ヶ嶽へ通じる舗装された林道の途中から簡単に主郭に行くことができる。
最寄り駅(直線距離)