築城年代は定かではないがに安田三郎惟光によって築かれたと云われる。安田惟光は林六郎光明の子とされる。
安田春日神社は寛平5年(893年)に国司有佐王によって祀られたのが始まりとされ、寛平承久年間(1219年〜1222年)に惟光によって造営されている。寿永2年(1183年)には木曽義仲が平氏追討の時に参拝しており、天正8年(1580年)には柴田勝家軍の戦火によって焼失している。
城は安田春日神社の南西にある出城公民館付近にあったとされる。木曽街道が東西に走る交通の要所に位置する。
安田春日神社の東側付近が発掘調査された折りには、13世紀初頭〜14世紀の総柱建物七棟や井戸などが検出されたが、堀などは発見されていない。