加賀 安吉城かが やすよしじょう
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長享元年(1487年)大窪源左衛門家長によって築かれたと云われるが定かではない。 大窪家長は一向一揆河原組八千騎の旗本で川筋一帯に四万石を領していたという。
天文19年(1550年)頃に城は家臣窪田大炊介に譲り、家長は出家したという。
現在は市街地に没し明瞭な遺構は残っていない。山島公民館に石碑が建てられており、その南側に土塁跡ではないかとされる土盛が残っている。