詳細不明。案内板によれば享禄年間(1528年~1532年)に朝倉氏に備えて一向一揆が築城、元亀元年(1570年)頃には鳥越城主鈴木出羽守の出城となり、天正年間(1573年~1592年)に織田勢と戦って落城したという。
岩倉城は上麦口集落の北東に聳える標高296mの山に築かれており、現在は登山道が整備されている。
比高は約200mとさほど高くはないが、上麦口集落からは奥まった山にあり、麓から山頂は見えないと思われる。
主郭は山頂の曲輪Iで南北に長く土塁で囲繞する。虎口は3個所確認できる。
北端の虎口1を出ると曲輪IIがあり、北端が東へ張り出す。この張出はそのまま曲輪IIIの虎口5に対して横矢を掛けになっている。虎口4は外側に屈曲する土塁があり、曲がりながら入る構造になっている。
曲輪IIIは東に虎口5を開く。虎口の外側は横堀1があり、横堀の土塁がそのまま虎口の土橋となって入るようになっている。南西隅にも開口しているが、用途は不明である。
主郭から西に開口する虎口2は外側に小郭Vがあり外枡形状の虎口である。この虎口も帯曲輪IVと小郭Vで固められている。
主郭の南方に開口する虎口3は帯曲輪IVに接続するが、そこから南へ伸びる尾根は自然地形のままで特に遮断施設はない。現在はこの尾根から岩倉観音に続く山道が接続している。
南西尾根には「米左衛門屋敷」とされる平場がある。緩斜面を削り込んだ平坦面があり、一部土塁状になる。ここから虎口6まで堀底状の道が接続する。岩倉観音との分岐の先には水場(湧き水)がある。
主郭部I~IIIが高土塁で囲繞された曲輪となり、明確な虎口を有している。北から虎口5に入るルートが大手筋と考えらる。一部横堀が設けられているが、明確な堀切や竪堀がない。主郭Iが城内で最も広い曲輪というのも特徴であろう。
国道360号線、上麦口バス停付近に案内板があり、そこから登山口まで道標がある。
登山道は谷筋を登るように設置されていたが、現在は崩落しているのか尾根を登る迂回ルートが整備されている。
最寄り駅(直線距離)