築城年代は定かではないが享禄年間に一向一揆によって築かれたと云われる。 加賀国守護富樫氏を降した一向一揆に対抗して加賀に侵攻した朝倉氏に対する備えとして築かれたという。
織田軍による加賀侵攻では、鳥越城の前衛として攻防が繰り広げられ落城。織田氏方の拠点として改修されたといわれる。
城は上麦口町の北東の標高296mの山頂に築かれている。主郭は南北に長く周囲に不整形の土塁が巡り、北端に櫓台がある。虎口は北西、北東、南西の三か所にあり、北西の虎口は馬出しとなっている。
主郭の北東虎口を東へ出ると土塁が巡らされた小郭があり、南北に虎口を開く。北の虎口を出ると、また土塁が巡らされた小郭がある。この曲輪は東に虎口を開き、虎口から出た道は曲輪の側面を北へ回り込んで北へ伸びた細尾根に達し、馬出しの機能も兼ねている。
国道360号線、上麦口バス停付近に案内板があり、そこから登山口まで道標がある。 山道はとても良く途中までは林業作業用の道が続き、途中からサムライ道と銘のついた山道となる。
最寄り駅(直線距離)