築城年代は定かではないが宇津呂丹波によって築かれたと云われる。
波佐谷城の地にはかつて本願寺蓮如の子蓮綱が創建した波佐谷松尾寺があり「三山の大坊主」と呼ばれた。松尾寺は享禄4年(1531年)超勝寺方によって制圧され消失したが、その後に波佐谷城が築かれたと考えられている。
天正8年(1580年)柴田勝家の軍勢によって落城し、宇津呂丹波、藤六父子は討ち取られ首は安土に運ばれた。この後、村上頼勝が小松城主となり、その一族の村上勝左衛門を波佐谷城主としたという。
波佐谷城は波佐谷集落の南東背後の山に築かれており、現在は登山道が整備されている。
波佐谷城は標高90m付近にある主郭と北尾根の先端部分に築かれた出丸があり、谷を挟んだ西側に松岡寺跡がある。
主郭は分厚い土塁が巡り南西背後の尾根は二重堀で内堀は主郭下を横堀状に回り込んでいる。北側には竪堀と土塁による通路設定があり、南西側の虎口まで通路となる。
北の出丸は北端が一段高く、南下の低い部分に鉄塔がたっており、南側に土塁が付いている。南背後は堀切で遮断している。
波佐谷公民館のところに案内板が設置されている。遊歩道は最近は荒れている部分もあるがところどころ道標が出ている。
最寄り駅(直線距離)