築城年代は定かではないが天正年間初期(1573年〜1592年)に若林長門守によって築かれたと云われる。 若林長門守は一向一揆の部将で天正7年(1579年)柴田勝家によって攻撃され落城した。
織田信長は六万六千石で村上頼勝を城主としたが、慶長3年(1598年)越後国本庄に移封となり、丹羽長重が十二万石で松任城から移った。
関ヶ原合戦では豊臣方に属し、徳川方の前田利長と交戦したが敗れて利長に降った。 関ヶ原合戦後、長重は改易となったが慶長8年(1603年)常陸国古渡に一万石で大名に復帰した。
それ以後、前田氏の持城であったが元和の一国一城令により廃城となる。しかし、寛永16年(1639年)加賀藩3代前田利常の隠居城として再び整備された。
現在は小松高校の敷地内にある櫓台と、道路沿いに堀の石垣が残る。
常盤門(移築 城門)
二の丸鰻橋門(移築 長屋門)