詳細不明。城主は牧山氏や佐々成政、佐久間盛政などが伝えられる。
北方城は標高224.0mの権殿山山頂に築かれている。 近くまで林道が通り、国土地理院の地図には神社の鳥居マークも付いているので簡単に簡単に行けるものだと思ったが、林道から山頂に至る道は薮化している。今付いている尾根道は国土地理院の破線とは別の道である。
主郭は山頂にあり、笹藪になっているので地形面の確認は曖昧であるが、全体的に削平は甘いようで緩斜面となっている。東側には横堀が巡り、土橋が架かって出丸が築かれているが、この曲輪も傾斜しており、東側は曖昧である。主郭の南側は方形に凹んだ虎口状の地形があるが、自然石が祀られ神社の基壇のような感じである。
主郭から南西側に降りた所にも曲輪があり、南にl字状になった空堀、北側にも空堀が一部残り、曲輪であったことは確認できるが、この部分は林道によって大きく破損している。
南西の北方町側から舗装された林道が続いており、山頂の南東側から山頂まで踏み跡が付いている。ちょうど道がカーブして車を駐めるスペースもある。 (地図)
最寄り駅(直線距離)