築城年代は定かではない。
横手城の支城で城主としては大石定宗とその子大石定景が伝わる。定景は天正14年(1586年)小野寺氏に従って有屋峠の合戦に従軍し、文禄4年(1595年)大島原合戦で討死した。
文禄5年(1596年)最上氏の侵攻によって落城したが、慶長3年(1598年)小野寺氏は植田城・川熊城・鍋倉城・新田目城を取り戻したと云う。
現在は宅地や田畑となって遺構は残っていない。南にある古四王神社は当時田ノ村にあって小鼓城大石氏縁の神社である。
古四王神社神社脇の県道13号線を北上していくと集落の手前の水田の中に石碑が建てられている。
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