築城年代は定かではないが建長・文永年間(1249年〜1275年)頃に岩崎河内守によって築かれたと云われる。 稲庭城主小野寺経道が一族の藤原河内守を岩崎の地に封じ、河内守が岩崎城を築いて岩崎氏を称したという。
文禄4年(1595年)雄勝郡に侵攻した最上氏は湯沢城を攻め落とすと、さらに北方の岩崎城にも攻め込み、十五代城主岩崎河内守義高は討死、弟岩崎伊豆守は横手城へ逃れた。その後は最上の家臣原田大膳が城主となった。
岩崎城は皆瀬川南岸の台地の上に築かれており、現在は千年公園として整備されている。
公園として整備されており地形が変わっているようにも見えるが、主郭は川に面した北東部の高台で「菅江真澄の道」の標柱が建っている。その西にあるのが二郭、主郭と二郭の南下にある広大な平地が三郭という。三郭には「玉子の井戸」が残る。