築城年代は定かではない。鎌倉時代から城があったとする説もあるが、天文年間(1532年〜1555年)頃に小野寺輝道によって築かれたともいわれる。
小野寺氏は関ヶ原合戦で西軍に属したとみなされ改易となり、小野寺義道は石見国津和野の坂崎出羽守に御預けとなった。
慶長7年(1602年)佐竹氏が秋田に入部すると最上氏より城を受け取り伊達盛重が城代となった。慶長8年(1603年)には須田盛秀が城代となり、寛永2年(1625年)盛秀の子須田盛久が城代となる。
寛文12年(1672年)常陸国戸村城主であった戸村義連が城代となり、以後戸村家が城代として続いて明治に至る。
現在は横手公園として二の丸に模擬天守が建ち資料館や展望台を兼ねている。二の丸の南下が武者溜りで噴水などが設けられ、その南に本丸がある。本丸には秋田神社が祀られているが、この社殿の部材は旧大手門のものが利用されているという。
公園化の影響か遺構はあまり残っていない。城山の東にある牛沼は内堀跡という。
本丸と二の丸の間に駐車場がある。
最寄り駅(直線距離)