築城年代は定かではないが永承・天喜年間(1146年〜1058)頃に清原光頼によって築かれたと云われる。 光頼は清原武則の兄で子大鳥居頼遠とともにここに籠ったという。
後三年の役で源義家の大軍によって敗れ炎上したと伝えられ、その後、藤原清衡の三男藤原正衡が改修して居城とし関根柵と呼ばれた。
大鳥井柵は通称大鳥井山と小吉山と呼ばれる丘陵に築かれていた。 現在は総合運動公園となっており、発掘調査によって柵木列5、土塁5、空堀5、溝24、井戸1などが検出され、遺物から存続期間は11世紀後半から13世紀中頃とみられている。
西の大鳥井山の東山腹には今でも横堀が鮮明に残されている。
大鳥井柵の駐車場がある。
最寄り駅(直線距離)