築城年代は定かではない。
城主は当初加賀美遠光、応永年間(1394年〜1428年)頃に小野寺春光、長禄3年(1459年)頃に小野寺泰道、横手道前、横手義則、横手佐渡守光盛と伝えられる。
天文21年(1552年)横手佐渡守光盛は金沢の金乗坊と謀って小野寺家に謀反し、小野寺稚道は湯沢城まで退いたが、大軍に囲まれ討死した。弘治元年(1555年)湯沢城から脱出していた稚道の子四郎丸(後の輝道)が復讐の軍勢を挙げ平城を攻め落とした。その後輝道は横手城を築いて移ったという。
現在は市街地に没して遺構は残っていない。主郭跡とされる一画が墓地として残っており、その中に案内板が建っている。
奥州本線三本柳踏切付近から焦土・焼米が見付かっており、平城が小野寺輝道に焼き打ちされた伝承を裏付けるものとされている。
横手駅東口から北へ進んで行くと左側にトヨタレンタリース、日本生命のビルがある。その先の交差点を右折してすぐ左側に墓地があり、ここが主郭跡とされる。
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