築城年代は定かではないが明応年間(1492年〜1501年)頃に小野寺道周によって築かれたと云われる。 道周は横手城主小野寺泰道の三男である。
天文年間(1532年〜1555年)から永禄年間(1558年〜1570年)頃の城主は鍋倉石見守道能で天正年間(1573年〜1593年)頃の城主は鍋倉道長で、天正18年(1590年)に太閤検地に対して一揆を起こし増田城に籠った鍋倉左近と同一人物と考えられている。
文禄5年(1596年)最上義光の侵攻によって落城したが、慶長3年(1598年)小野寺氏によって取り戻された。
現在は宅地や水田となっており明瞭な遺構は残されていないが、集落を取り囲むように所どころに残る濠跡をたどると、東西200m、南北200m程の規模になるという。
集落周辺には水路が巡っており、どれが濠跡なのか良くわからない状態である。付近の方と話をしたのだが、その方は「鍋倉城」は知らず「城戸城」という名を聞いたことがあるといっていた。手元の資料には城戸城の名は別称としても記されていないが、そう呼ばれているのであろうか。
県道271号線を北上していくと集落の中にガソリンスタンドがある。この先の西側にひっそりと標柱が建っている。
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