明治2年(1869年)佐竹義理によって築かれた。 佐竹義理は久保田新田藩(後の岩崎藩)九代当主である。
久保田新田藩の初代は久保田藩主佐竹義隆の四男義長で、元禄14年(1701年)に兄の佐竹義処より新田二万石を分与されたことに始まる。 新田藩は蔵米支給で所領がなく、当主は参勤交代を行わない定府大名であった。
慶応4年(1868年)椿台陣屋を築いてはじめて秋田に下向したが、築城の最中に戊辰戦争が起こり、奥州列藩同盟からいち早く脱退した久保田藩とともに戦い、椿台にて庄内藩の攻撃を防いだ。 明治2年(1869年)義理は岩崎村へ移って岩崎陣屋を築き、翌3年に岩崎藩知事に任命された。
岩崎陣屋は岩崎城の南麓、現在の岩崎保育園の辺りに築かれいたとされるが遺構はない。千年公園にある八幡神社拝殿の唐破風が陣屋殿舎からの移築と伝えられる。
殿舎唐破風(移築 その他)