築城年代は定かではないが貞治年間(1362年〜1368年)に小笠原義冬によって築かれたと云われ、三又城から居城を移した。
永享年間(1429年〜1441年)頃、小笠原光冬のときに小野寺氏に敗れ楢岡城へ移り、増田城は小野寺氏の家臣土肥氏が城主となった。
関ヶ原合戦後、秋田へ転封となった佐竹氏の家臣佐竹東家の佐竹義賢が城代となった。
増田城は現在の増田小学校一帯に築かれていた。
現在残る遺構は小学校の北西隅にある貞治碑と二本杉のところで、この部分が北西隅の土塁となる。東側の道路に面して土塁状の地形があるが、これは後世の復元地形と思われる。公園の東側入口に案内板が設置されている。