築城年代は定かではないが小野寺道実によって築かれたと云われる。 道実は稲庭城主小野寺晴道の三男という。
小野寺道嗣の時に陸奥国和賀郡へ移り、その後は三俣城主小笠原氏の一族が居城した。 天正14年(1586年)有屋峠の合戦には三梨四郎が出陣した。文禄5年(1596年)三梨道英が城主のとき最上氏の家臣鮭延秀綱の軍勢に攻められ落城した。
三梨城は下宿集落の東の丘上に築かれている。 「秋田の中世城館」の史跡範囲は谷を挟んで両側を示すが、薬師堂のある谷の北側は特に遺構らしきものはなく、丘の上はなだらかな丘陵地で畑となっており、遺構があるのは南側の観音寺の北東背後の部分である。
主郭部と見られる広大な台地の北側に方形の土壇があり、八幡宮と真山宮が祀られている。西側へ降りる参道は大手の虎口のようで、小郭の間を屈折しながら、そのまま西下の腰曲輪へと降りていく。
更に降りると外側に土塁の付いた腰曲輪、帯曲輪、場所によっては横堀状になっている。この遺構は主郭部の台地を取り巻くように南から東側へと巡っている。南は水路がありおそらく堀切になっていたものと思われる。そこから更に東側へ回ると幅数mの空堀跡が残る。東側にも主郭部に入る通路があり、やや屈折して入るようになっており、搦め手であろうか。
国道398号線沿いに沼田城の標柱が建っている。西側は民家があるので入口がわからないが、搦め手側から簡単に入ることができる。
標柱のある所から東の集落内に入り、北へ回り込んで谷間を東へ入って行くとやがて未舗装林道となる。その付近に車を駐めるスペースがあり、歩いて行くと南西の山側に入る通路がある。(入口)
最寄り駅(直線距離)