詳細不明。城主は菅兵庫、菅ノ加賀守の名が伝えられる。文禄2年(1593年)の最上氏による雄勝郡侵攻により落城したと云われる。
椛山館は椛山集落の東背後の山に築かれている。現在は公園として整備され東屋が建っているが、明治頃にはグラウンドになっていたという。
椛山館は役内川東岸にあり、川に面して急峻な西端に主郭を置いている。南北に長い主郭は東側に土塁が付き、北は堀切を経て小郭があり、現在はこの堀切から主郭へ入る道が付いている。主郭の東下にも広い曲輪があり、東の山塊へと続く尾根は林道が通っているが、ここには堀切があったと思われる。
国道108号線から橋を渡って椛山集落に入り、少し北側に行くと樺山発電所がある。明治に完成した院内銀山の動力源となった発電所という。ここから北の沢沿いに山に入って行く林道があり、途中十字路がある。これを右へ曲がり道なりに登っていくと館跡の東尾根に至る。林道は車でも登ることができそうだが、未舗装で緩い所もあるので歩いて登るのが無難だろう。
最寄り駅(直線距離)