出羽 八口内城でわ やくないじょう

城郭放浪記


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出羽 八口内城の写真
掲載写真数
形態
山城(423m/120m)
別 名
役内城
文化財指定
なし/不明
遺 構
土塁,郭,堀
城 主
八口内氏
歴 史

築城年代は定かではないが八口内氏によって築かれたと云われる。 八口内氏は平将門の後裔を称する。

暦応2年(1339年)小野寺氏に攻められ落城したと云われる。

天正14年(1585年)越後の上杉氏が最上の庄内へ出兵することを知った小野寺義道は、鮭延氏が最上に降って以降失った地を奪い返すべく、山北より最上へ侵攻することを計画し、一族郎党に八口内城へ集結するよう陣触を出した。これを知った最上氏は最上義光自ら軍勢を率いて出陣した。両軍は山北と最上を結ぶ要衝にある有屋峠で八日間にわたり激しく戦い、両軍とも多数の戦死者を出した。(有屋峠の合戦)

文禄2年(1593年)豊臣秀吉による奥州仕置きとして検地を行うため、最上の家臣鮭延秀綱が先導して有屋峠を越え雄勝郡へ侵攻した。八口内城主八口内尾張守貞冬(定冬)は横手城の小野寺氏に注進するものの軍勢は集まらず、貞冬は有屋峠の道を堀切り、大木を切り倒し、逆茂木を引て待ち構え、武者三騎にて敵軍に討ち入り討死した。

説 明

八口内城は役内集落の南背後に聳える標高423mの山頂に築かれている。 山北と最上を結ぶ旧街道で、水晶森と黒森の鞍部を越える有屋峠は南西約4.5kmの所にあり、有屋峠の山北側の入口を押さえる場所にある。

八口内城は山頂の主郭から北西の尾根と南尾根に階段状に削平地を連ねた城であるが、現在北西側から重機で切り開かれた作業道が山頂近くまで通じており、北西尾根側の削平地はかなり破壊されている。

曲輪は総じて狭く土塁なども付いていないが、西下の側面に浅い横堀があり、南尾根の東側面に畝状竪堀群が残っている。

案 内

役内集落の道を南へ進んでいくと神室山登山口の標識があるy字路がある。この南側にある山が城山。登山口とは反対方向の道を進んで行くと鳥居が見える。鳥居の手前に広くなったところに車を駐めることができ、その手前に山頂まで通じる作業林道がある。 (登り口)

所在地/地図
秋田県湯沢市秋ノ宮字時上森
付近の城(直線距離)
1.7km 出羽 男鹿崎館
4.5km 出羽 しなの館
5.5km 出羽 矢倉館
6.5km 出羽 椛山館
8.1km 出羽 影平館
9.6km 出羽 浅萩館
最終訪問日
2012年5月
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