築城年代は定かではないが三浦氏によって築かれたのが始まりとされる。 三浦氏は相模国三浦郷発祥で三浦義末がこの地に来住したのが始まりという。
暦応2年(1339年)小野寺家臣で小野城主の姉崎四郎左衛門に攻められ法領館は落城、以後小野寺氏の城となった。
天正年間(1573年~1592年)には最上氏の軍勢が攻め寄せたが、山田次郎や奥山玄蕃らの活躍によって落城は免れた。
慶長5年(1600年)関ケ原合戦で小野寺氏は西軍に与して改易となり、法領館もまた廃城となったという。
法領館は院内駅の北側にある館山に築かれており、現在は登山道が整備されている。
法領館は北城と南城の2つに大別でき、その間は自然尾根になっている。
南城は三角点のあるところが主郭となり、北背後を大堀切で遮断している。主郭から南東へ伸びる尾根にも曲輪が展開していたと思われるが、土取によって大きく地形が改変されており詳らかではない。
東端の麓近く、神社からつづら折れで登る登山道沿いに複数の竪堀や堀切形状が確認できるが、どこまで遺構なのか不明である。
北城は公園化されて遊具などが設置された広い空間があるが、その北側にある一段高く神社があるところが主郭と考えられる。北へ続く尾根には小さな段曲輪があるが、先端は細尾根になり堀は見当たらない。南は公園になった広い空間の南側にも人工地形があるが、城郭にともなう遺構には見えない。
南端東山腹に神明社があり、その参道入口に案内板がある。参道を登って神社の南側から登山道がついている。
駐車場はないが、地元の方に確認したところ案内板の前に駐めても良いということであった。
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