築城年代は定かではないが建長・文永年間(1249年〜1275年)頃に姉崎六郎(姉崎四郎右衛門とも)によって築かれたと云われる。 姉崎氏は小野寺氏の入部に随行してきた家臣で、院内の押さえとして小野城を築いたと云われる。
文禄2年(1593年)最上氏の雄勝侵攻では、町田長右衛門が土民三百余人をともなって籠城した。最上の鮭延の軍勢は川を渡り城に攻め掛かろうとしたが、町田次郎右衛門が大石を楯として鉄砲を放ち、十四・五人の兵が川を渡れず討たれた。最上軍は翌日再び攻め寄せたが、城内には一人もおらず、昨日討たれた兵の首が川の端に切りかけてあった。
小野城は雄物川の北西にあり、標高216mの山頂から北西へ伸びた尾根に築かれている。 現在は館公園として整備されており、北東尾根先から神社の参道を経て山頂に至る遊歩道が付いているが、古来はもっと南側から山腹をつづら折りで登る道があったという。
主郭は山頂にあり東西に長く広い。主郭から北東へ伸びた尾根、南へ伸びた尾根に多くの曲輪が残っている。
主郭の北西背後の尾根は規模の大きな三重堀切で遮断している。そこから西側の斜面にはコブの高さが1m程ある大きな畝状竪堀群があり、北側の山腹は西側ほど規模が大きくはないが、畝状竪堀群らしき地形が所々残り、北東端の堀切付近にも明確な竪堀群が残っている。
国道13号線泉沢丁字路から北西に曲がり、泉沢橋を渡って進むと小野城への道標が出ている。道標に従って集落内の道を進むと案内板が設置された駐車場に至り、そこが登山口。
最寄り駅(直線距離)