築城年代は定かではないが天文2年(1533年)八尋式部によって築かれたと云われる。 これは「築後将士軍談」によるもので、「北肥戦誌」には永禄12年(1569年)大友宗麟が築いたとしている。
天正15年(1587年)豊臣秀吉による九州征伐で秀吉が吉見岳城に本陣を構えている。
吉見岳城は高良山から北西の尾根続きにある標高160m程の吉見岳山頂に築かれている。
山頂には現在琴平神社が祀られているが南東端と北西端に土塁が残っている。主郭の東下は大堀切で断ち切っている。主郭の西下にあるのが二の丸、その先端の高台が三の丸と伝えられる。
今回は本丸周辺のみの散策であったが、「福岡県の城郭」に掲載されている縄張図ではさらに城域は広がり、北へ伸びた数本の尾根には出丸のような背後に堀切を設けた曲輪が描かれている。
登山道はいくつかあるようですが、耳納スカイラインの入口付近にある高樹神社から、または高良大社から一度降りて登る道があり、ともに入口に駐車場がある。
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