天正5年(1577年)草野家清(鎮永)によって築かれた。
草野氏は筑後国の在国司として勢力を持っており戦国期には大友氏に属していたが、天正5年(1577年)大友氏が耳川合戦に敗北すると龍造寺氏に寝返った。このとき名を鎮永から家清と改めている。さらにそれまでの居城であった竹井城が要害でないため、発心城を築いて居城を移した。
天正15年(1587年)豊臣秀吉による九州征伐で清家は秀吉に誘殺され草野氏は滅びた。
発心城は耳納山地にある標高697.4mの発心山に築かれている。現在は県指定史跡となっており、耳納スカイラインが城内を貫通しているため、容易に訪れることができる。
発心城は三角点のある山頂を主郭とし、そこから北、西、東に伸びた尾根に曲輪を展開している。北麓にある発心公園が草野氏の居館跡で、その東側に上・中・下城と呼ばれる山城、山腹には蔵所と呼ばれる城郭遺構が残る。
耳納スカイライン沿いに駐車場がある。
最寄り駅(直線距離)