築城年代は定かではない。
延文4年・正平14年(1359年)征西大将軍として下向した懐良親王を奉じた菊池武光が北朝方と戦った筑後川合戦で本城となった所と伝えられている。
別所城は標高312.0mの高良山山頂に築かれている。
山頂の主郭Iを中心に南西に伸びた尾根と東へ伸びた尾根に曲輪を展開する。
主郭Iは北端が一番高く、南西方向に低土塁を備えた長い曲輪が伸びており、途中には不明瞭な段や仕切り土塁のような高まりが残るが、全体的に自然地形を残す。南端は一段低く窪んで土塁が回り、下方に堀切と竪堀群8がある。
北端から東へ伸びた尾根は三条の堀切3、4、5があり、堀切の間に小規模な曲輪II、IIIがある。一方北西に伸びた尾根には曲輪の造成はなく、堀切1、2で遮断するのみである。
主郭の北側面は堀切から伸びる竪堀と独立した竪堀群7があり、その下方に横堀6がある。横堀6の西端は堀切1から伸びる竪堀の下方、東端はそのまま遊歩道に接続されている。横堀の途中にある畝状の地形は崩れによるもので、仕切り土塁ではなさそうである。
別所城の西側の中腹には「高良大社奥の院」があり、ここは懐良親王の御在所となっていたとの説がある。
高良大社を目指し、その先に続く車道を登っていくと「つつじ公園」の駐車場に至る。この公園の南の山頂が城跡で登山道が整備されている。
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