筑後 鳥飼城ちくご とりかいじょう
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『筑後将士軍談(筑後国史)』で「東西二十四間、南北三十間、南面ニテ四方へ廣三間ノ堀アリ、今庄屋宅内也、此城ハ新田義信ノ所築卜云」とあり、新田義信の城とされる。
鳥飼城は現在の鳥飼集落に築かれていたようであるが、宅地や田畑となって遺構はない。
集落の中央を南北にとおる県道584号線沿いに石碑がたつのみ。