『芸藩通志』には「中山城 古宮山 並に小原村にあり、上は三浦義明が所居といへど、異人同居なりや、不審、下は主名を失ふ、廢祠の址なるやも、知るべからず、」とある。
最円寺の案内版によれば、城主三浦氏は相模国三浦氏の一族という。永正4年(1507年)三浦賀親のときに鷲尾山城主木梨元清によって攻められ落城したという。
中山城は最円寺の南に聳える標高221mの山に築かれている。
主郭は山頂にあり、南北二段で北が高く中山城址の石碑が建っている。
主郭から南西に伸びる尾根に曲輪II、IIIと続く。曲輪IIが一番低くIIIの南端が高くなる。北側面には帯曲輪IVがある。このあたりは全体的に削平が甘い。
主郭から北へ伸びる尾根は二重堀切3、東へ伸びる尾根にはやや間隔をあけて三条の堀切4がある。主郭の南東側面には畝状竪堀群5があるが、三重堀切4から伸びる竪堀とは繋がっておらず、独立した竪堀群になっている。
南西の尾根先にも四重堀切1があるが、こちらも西側面に畝状竪堀群2が確認できる。北端の竪堀は幅広で鋭く、崩落か改変のようにも感じたが、一番下まで降りて確認したところ問題なく竪堀であった。
整備された道はなさそうなので、南西の尾根先から登った。
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