築城年代は定かではないが森光氏によって築かれたと云われる。雲雀城の案内板によれば、森光氏は三吉氏の家臣として当地に配されたのが始まりという。
天文13年(1544年)尼子氏が大内方の三吉広隆を攻めたときには、牛の皮城主森光景近は雲雀城主池上氏、丸山城主上里氏らとともに尼子方に加わった。
牛の皮城は御調川の南岸の平地に面した標高233mの山頂に築かれており、ちょうど尾道北icの北東に位置する。
牛の皮城は山頂の主郭部と北西尾根の二郭から成る山城で、中国横断自動車道尾道松江線の建設により一部破壊されているものの、比較的遺構の状態は良く保存されている。
主郭部は山頂から西へ向かって階段状に削平地を並べている。東側には上下二段で連続竪堀があり、上段は短く連続した畝状竪堀、下段は三条の大規模な竪堀を配している。西尾根の先端は弓形状に二重の堀切があり、中央に竪堀を落としている。
北西の二郭部は主郭に通じる尾根を二重堀切で遮断し、北西方向に削平地を連ねる。北端部は放射線状に畝状竪堀群を配し、東斜面に独立した竪堀が付いている。
北西の二郭が背後の尾根を二重堀切で遮断しているのに対して、主郭側は北東尾根に堀切を設けていない点が気になるところである。
途中木組みの階段が付けられて遊歩道として整備されているようなのだが、入口には何の案内もない。御調町大町にある艮神社・大町集会所を目指す。この南の山が城山で、山裾に墓地があり、その脇から山に入る道が付いている。この山道は主郭には登らずに背後の尾根に消えているので、主郭へは南側に回り込んだ辺りから登るのが良いだろう。
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