詳細不明。『芸藩通志』に「古塁 津蟹村にあり、山中弾正、所居」とあるが、これが福丸城を示すのかどうかは不明である。
福丸城は御調川の北岸にあり、北西山塊から伸びた丘陵の先端から東へ曲がる辺りに築かれている。
単郭の城であるが、堀が主郭を囲繞する。主郭は西端に小高い土塁があり、そのうえに金毘羅社の小さな社が祀られている。北西、北東、南は尾根を遮断する堀切があり、それぞれの堀切の間は畝状竪堀群で埋め尽くされている。
以前訪れたときには周囲は雑木林であったが、民家に面した南東側面がきれいに伐採されており、急斜面に築かれた畝状竪堀群がよく分かるようになっていた。この民家の方が刈ってくださっているようだが、本当にありがたい。
この福丸城と丸山城と間に「要福寺屋敷跡」の石碑がある。石碑には永承5年(1050年)開基、天正7年(1579年)廃寺とあり、城と関係が深そうであるが詳しいことはわからない。写真は丸山城を参照。
東麓にある民家の脇から山に通じる道がある。