『芸藩通志』には「滑山 江木村にあり、小早川家の臣、門田芝右衛門元賀所居、一に麓山とよぶ」とある。天正10年(1582年)頃に門田元賀は堀越城へ移ったとされる。
滑城は北西に伸びた尾根の先端に築かれている。地元では城山(じょうやま)と呼び、南麓には馬場と呼ばれるところもあるという。
滑城は北西の尾根先が土取で消滅しており、城の西側は消滅している。現存しているのは主郭と思われる曲輪の東端部で東側に分厚い高土塁があり、小さな社らしきものがある。東尾根は三重堀切、主郭の南北両側面には畝状竪堀群がある。
三重堀切1は城内側が最も深く主郭とは10mほど、北側は外側の堀切から伸びる竪堀と内側の竪堀が合流している。
北側面にある畝状竪堀群2は一部は岩盤を削った畝が高く残り、四条の竪堀が伸びている。
南側面の畝状竪堀群3は残存度が悪いが、多数の竪堀が確認できる。
道はない。南から山にとりつき標高450mのピークに一旦登って北へ下る。