備後 雲雀城びんご ひばりじょう

城郭放浪記


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備後 雲雀城の写真
掲載写真数
形態
山城(210m/120m)
別 名
なし
文化財指定
なし/不明
遺 構
郭,堀,井戸
城 主
土倉夏平,池上氏
歴 史

嘉吉3年(1443年)土倉対馬守夏平によって築かれたのが始まりと云われる。 土倉夏平は高山城主小早川貞平の子で小早川春平の弟にあたる。

明応年間(1492年〜1501年)になると三吉氏の勢力が南下し、家臣の池上丹波守が城主となった。その後も池上氏が代々城主として続き、菩提寺である本照寺の過去帳には池上少輔、池上久太郎、池上因幡守の名が残っている。

天文13年(1544年)尼子氏が大内方の三吉広隆を攻めたときには、雲雀城主池上氏は、牛の皮城主森光景近、丸山城主上里氏らとともに尼子方に加わった。

説 明

雲雀城は尾道市役所御調支所、道の駅クロスロードみつぎの南に聳える標高210m程の山頂に築かれている。葉が落ちる冬場では、道の駅から見上げると主郭の切岸と堀切がクッキリ見える。

主郭は山頂にあって東西に長く西が一段小高くなる。東下から南にかけて腰曲輪が巡り、さらにその南東下に南北二つの曲輪が付いている。主郭から西へ続く尾根は大堀切によって遮断されている。

東端から北へ伸びる尾根の中腹に神社があり、そこから下に向かって階段状に削平地が付いている。下は墓地であるが、竪堀なども残っている。山腹の神社から主郭に登る途中の標高180m付近に井戸が残っている。

東麓には池上因幡が建立したとされる池上氏の菩提寺である本照寺があり、本堂の背後には雲雀城の二ノ丸より移したという、「伝雲雀城主墓石群」があり旧御調町史跡になっている。

案 内

登山道の入口は東側の国道184号線から本照寺の北にある天神社から付いている。駐車場はないので道の駅に置いてくるのがよい。

最寄り駅(直線距離)
7.5km 下川辺駅
9.3km 河佐駅
9.3km 中畑駅
所在地/地図
広島県尾道市御調町市
付近の城(直線距離)
2.4km 備後 牛の皮城
2.9km 備後 丸山城(御調町丸門田)
3.3km 備後 峠山城
4.2km 備後 上田城(御調町)
4.5km 備後 鷲尾山城
4.6km 備後 門田城
5.1km 備後 末近城
5.4km 備後 家ノ城
5.6km 備後 家政城
5.7km 備後 丸山城(御調町津蟹)
6.0km 備後 福丸城
6.3km 備後 小童山城
6.4km 備後 蛭子城
6.4km 備後 古城山城
6.5km 備後 茶臼山城(八幡町)
6.7km 備後 勝山城(八幡町)
7.6km 備後 古宮山城
8.2km 備後 中山城(尾道市)
8.4km 備後 滑山城
9.0km 備後 大町山城
9.0km 備後 医王山城(田屋城)
9.5km 備後 兵庫城
9.5km 備後 本郷城
9.6km 備後 高根山城
最終訪問日
2011年12月
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