嘉吉3年(1443年)土倉対馬守夏平によって築かれたのが始まりと云われる。 土倉夏平は高山城主小早川貞平の子で小早川春平の弟にあたる。
明応年間(1492年〜1501年)になると三吉氏の勢力が南下し、家臣の池上丹波守が城主となった。その後も池上氏が代々城主として続き、菩提寺である本照寺の過去帳には池上少輔、池上久太郎、池上因幡守の名が残っている。
天文13年(1544年)尼子氏が大内方の三吉広隆を攻めたときには、雲雀城主池上氏は、牛の皮城主森光景近、丸山城主上里氏らとともに尼子方に加わった。
雲雀城は尾道市役所御調支所、道の駅クロスロードみつぎの南に聳える標高210m程の山頂に築かれている。葉が落ちる冬場では、道の駅から見上げると主郭の切岸と堀切がクッキリ見える。
主郭は山頂にあって東西に長く西が一段小高くなる。東下から南にかけて腰曲輪が巡り、さらにその南東下に南北二つの曲輪が付いている。主郭から西へ続く尾根は大堀切によって遮断されている。
東端から北へ伸びる尾根の中腹に神社があり、そこから下に向かって階段状に削平地が付いている。下は墓地であるが、竪堀なども残っている。山腹の神社から主郭に登る途中の標高180m付近に井戸が残っている。
東麓には池上因幡が建立したとされる池上氏の菩提寺である本照寺があり、本堂の背後には雲雀城の二ノ丸より移したという、「伝雲雀城主墓石群」があり旧御調町史跡になっている。
登山道の入口は東側の国道184号線から本照寺の北にある天神社から付いている。駐車場はないので道の駅に置いてくるのがよい。
最寄り駅(直線距離)