築城年代は定かではないが上里氏によって築かれたと云われる。雲雀城の案内板によれば、上里氏は三吉氏の家臣として当地に配されたのが始まりという。
上里丹後あるいは上里周防、その後に上里善九郎通職、上里民部助実、上里四郎三郎元実と続いたという。天文8年(1539年)に落城したと伝える。
天文13年(1544年)尼子氏が大内方の三吉広隆を攻めたときには、丸山城主上里氏は牛の皮城主森光景近、雲雀城主池上氏らとともに尼子方に加わった。
丸山城は御調川の北岸にある標高144m比高50m程の独立丘陵に築かれている。
主郭は山頂にあって西に向かって三段の削平地、東下に腰曲輪が付く。現在の参道は北から東の腰曲輪を経て南下を周り、三段目の曲輪の付け根か先端に入るようになっている。この通路が石積みされているが城の遺構ではないだろう。東下の腰曲輪は東端が土塁になっている。
北の斜面に向かい合うように萩八幡宮が鎮座しているが、この神社は由緒によれば仁治2年(1241年)に千葉豊後入道直翁が東中八幡宮として造営したのが始まりという。