詳細不明。現地の案内板によれば、建久3年(1193年)相模国三浦郡杉本又五郎の次男信永が土生の庄を賜り居城し六代、その後、杉原氏が続き、最後は豊田元利が城主であったとすう。
淵上城は芦田川に面した比高50mほどの山に築かれており、現在は「渕上城史跡森公園」として整備されている。
主郭は北西から南東に長く南側に高土塁を設けている。この土塁の北端部などは小さな曲輪程の幅があり、このあたりの城としては珍しい規模である。主郭の南東下に二郭がある。
現在南側は城山浄水場や墓地などに造成されており、もとの地形が不明であるが、主郭の西下に大きく西尾根を遮断する竪堀があり、その外側の緩斜面地形に畝状竪堀群を設けている。竪堀の上は浄水場と主郭へ続く山道との境で、そこももともとは堀切であった可能性が高い。おそらく、南西の尾根を大きく遮断する堀切があり、その外側に畝状竪堀群を設けていたものと思われる。
また現状確認できるのかはわからなかったが、北麓には道路改良のさいに井戸が発見されている。
「渕上城史跡森公園」の看板と城の案内板は北麓の道路脇にあり、駐車も可能である。ただ、現状では山上の浄水場の隣にある墓地に車を駐めて遊歩道を歩くと簡単に主郭下の登り口に行くことができる。
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