築城年代は定かではないが鎌倉時代に桜山慈俊によって築かれたと云われる。 桜山慈俊は元弘元年(1331年)楠正成に呼応して挙兵し桜山城、亀寿山城、鳶尾城を中心として備後半国を従えるまで勢力を拡大したが、同年10月に楠正成が籠った千早城などが陥落すると兵が離散し、吉備津神社に放火して自刃して果てたという。
桜山慈俊の出自は定かではないが亀寿山城主宮氏の一族と考えられている。
桜山城は備後国一宮吉備津神社の南にある丘陵に築かれている。桜山城は「一宮(桜山慈俊挙兵伝説地)」として国指定史跡に指定されている。
桜山城は中興寺の北にある山頂を中心として山全体に遺構が広がっているが大半は墓地や雑木林になっている。主郭のある山頂は草が刈られて「桜山」の名にちんなで桜の木が近年植えられたようである。主郭には櫓台が残っている。
中興寺から東側の尾根にある墓地に入り北へ進んで左の山頂に向かう道を行くと主郭に達する。案内板は県道28号線を吉備津神社方向に進んで右側にある池の脇に建っている。
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