築城年代は定かではないが鎌倉時代に宮下野守正信によって築かれたと云われる。 宮氏の出自については諸説あるが、萩藩閥閲録では初代宮下野守正信は藤原鎌足二十三代下野判官、応長元年(1311年)備後国守護職を賜わり下向したとある。
宮氏は代々亀寿山城を居城とした惣領家を中心として備後一円に勢力を拡げ、一族を配したが、天文年間(1532年〜1555年)に惣領家は滅亡し、後に毛利氏に従った有地氏、久代宮氏、日野氏などの庶流が江戸時代まで残った。
亀寿山城は芦田川北岸の標高139.4mの山に築かれている。 北に桜山城を挟んで備後一宮吉備津神社があり、南は芦田川を挟んで相方城がある。
主郭は山頂にあり石鎚神社が祀られている。北北西から南南東に長い曲輪で、北に削平地が続き堀切が二条ある。二の丸は主郭の東側にあり、その間は細尾根に加工して堀切を設けている。二の丸も北北西から南南東に長い曲輪で、この南下にも石鎚神社の鳥居があり、案内板はここに設置されている。手持の縄張図では遺構は山全体に削平地が描かれており、堀切もあるがあまり明瞭ではない。
登山口はいくつかあるようで、わかりやすいのは東麓にある安養寺の境内に向かって右側にあります。最初に登ったのは南麓にある府中市中須町東老人集会所のあたりから尾根上に登る登山口で、降りてきたのは尾根の西にある黒尾神社近くです。
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