築城年代は定かではないが鎌倉時代に有木氏(有鬼氏)によって築かれたと云われる。 有木氏は備後国一宮吉備津神社の宮司で延喜年間(901年〜923年)頃に備中国の吉備津神社を備前・備後に分祭した際に備後にきたものとされる。
元弘元年(1331年)桜山城主桜山慈俊が楠正成に呼応して挙兵した際には鳶尾城主有木小次郎俊信は桜山慈俊とともに戦った。元弘2年(1332年)桜山慈俊は吉備津神社に火を放って自刃するが、有木氏はその後も宮司として続き俊信の子俊雄の時に吉備津神社の社殿を再建した。
鳶尾城は吉備津神社の西の山に築かれている。鳶尾城は「一宮(桜山慈俊挙兵伝説地)」として国指定史跡に指定されている。
南西の尾根上にある広谷東観音山から続く尾根には所々堀切があり、広谷城山公園となっている曲輪に達する。 この曲輪の北下にも堀切があり、その先北へ続く尾根に削平地が広がるがあまり明瞭な遺構は残っていない。
吉備津神社から県道398号線を使って広谷町方向に走って行くと「府中・新市斎場やすらぎ苑」とともに広谷東観音山の案内が有る。この広谷東観音山から道が続いている。
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