「続日本紀」養老3年(719年)12月の条に「備後国安那郡の茨城、葦田郡の常城を停む」という記載が唯一残っているにすぎない。
常城については現在の福山市新市町常、新市町金丸、府中市本山町にまたがる一帯に築かれていたと推測されているが、いまだに明確な痕跡は見つかっていない。
七ッ池のある一帯は県指定史跡の青目寺跡(しょうもくじ)があり、この遺跡と一部重なっているのではないか、とも推測されている。青目寺は延喜年間(901年〜923年)頃には山頂に四坊、周辺に十一坊を従えるほどの寺院であったという。現在は本山町から七ッ池に行く道の途中に移っている。
七ッ池自然公園の案内板に「常城推定地」として説明が記載されている。