築城年代は定かではない。
福田氏の城とされ有地氏によって攻め滅ぼされたとも伝えられているが、福田氏は毛利氏にしたがったのち、美作へ拠点を移していたとも考えられており、詳細は不明である。
利鎌山城は標高200mほどの山に築かれており、現在は登山道が整備されている。
主郭は山頂にあり、東西に三段ほどに別れているが、明確な土塁はない。中央の段北側に曲輪IIと通じる道がついている。
主郭から東へ伸びた尾根に曲輪II、IIIがあり、曲輪IIIは城内最大の曲輪で東端に土塁、西端付近に井戸とされる窪みがある。
曲輪IIIの西端からは北の曲輪群VI、VIIに通じる通路がある。ここを下ると二条の堀切地形7に至る。そこから続く北尾根には途中堀切8を挟んで段曲輪群が連なり、北端には東西両側に竪堀がある竪堀群9に至る。ここは本来堀切であったかもしれない。
主郭部の西側は二条の堀切1、2があり、その間の斜面にも竪堀を設けている。北側面には畝状竪堀群4があり、北へ伸びる支尾根に堀切5、6を設けている。南側は登山道が切り開かれているが、登ることは容易でない急坂である。
主郭部の東端は堀切10、11が明瞭であるがその間の部分も浅い堀切であったようである。東西両側面は急坂であるが、この部分にも畝状竪堀群12、13を設けている。
東端から北へ伸びる尾根には曲輪群IV、Vが続き、北端から多方向に伸びる支尾根にはすべて堀切を設けている。
北西麓にある木野山神社から登山道が整備されており、神社の西側に駐車場もある。
最寄り駅(直線距離)