築城年代は定かではない。 伝承によれば、南北朝時代に新田義治(脇屋義治)によって築かれたと云われる。義治は新田義貞の弟脇屋義助の子で、伊予へ下向した父義助が急死したことを知ると、義治は阿波に退き山岳武士と呼応してこの八石城を築いたという。
八ツ石城は井内小学校の西背後に聳える山の標高790m付近に築かれている。現在は市指定史跡として整備されている。
八ツ石城は非常に険しい高い山の上に築かれているが、この辺りはかなり高い山の上まで宅地があり、舗装された車道があるので比高のわりには簡単に訪れることができる。
八ツ石城は単郭の城であるが、周囲には低い土塁が巡り、さらに外側に二重、三重の横堀が巡っているのが特徴である。虎口はハッキリとしないが、現状南西の駐車場からある参道は主郭の南下へと入り、さらに上に登る構造である。また北東の車道から山道があり、塹壕のような浅い横堀状の地名がそのまま南西側へと通じている。
国道192号線から県道140線へと入り道なりに進んで行くと井内小学校がある。ここから道なりに進むとどんどん山の上に登っていくが、その途中から八石城の道標が出てくる。
「下影の棚田」への分岐の少し手前に八ツ石城への分岐があり、ここも道標が出ている。ここから県道を外れ山腹の宅地の脇をどんどん進んで行くが、基本的に道なりに上へ登っていけば良い。そうすると一番最後の宅地までたどり着き、道は林道として山へ入って行く。ここが一番狭く舗装が悪くなっているが、ここを乗り切れば城跡までの車道は比較的きれいな舗装林道で鳥居の所に駐車場とトイレが完備されている。私は途中で怪しくなったので、車を捨てて歩いて登ったが、次回は車で登るだろう。
下のgpsログは県道分岐から掲載しているので参考になるだろう。
最寄り駅(直線距離)