築城年代は定かではない。伝承によれば白地城主大西氏が支城として築き、老臣東条隠岐守を置いて守らせた。天正5年(1577年)長宗我部元親の侵攻によって落城したという。
中西城は吉野川東岸の標高195mの山に築かれていた。
かつて宗教施設が建設されたおりに山が大きく改変されて遺構の大半が失われたという。現状では更地となっており、最高所の削平地の一角に中西城の石碑が建っている。
東背後の尾根に二条の堀切があり、内側の堀は弓形になって南端が竪堀として落ちている。
北側から道があるが、現状では車で登ることはできず、付近に駐車場もない。
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