詳細不明。城主は佐々木定綱の末孫と云われる田岡刑部であったと伝えられる。
田ノ岡城は小川谷川が吉野川に合流する地点の北西にある丘陵に築かれていた。
県道12号線撫養街道沿いに「大木戸跡」と呼ばれる所があり、これが田ノ岡城の大手門があったところと云われている。その南側にある丘陵が田ノ岡城で、案内板によれば、南側が本丸、堀切を挟んで北側が出丸であったという。
現在本丸とされる部分には社が祀られているが、曲輪と呼ぶ程の平段はなく、遺構は大きく損傷しているようである。北側には密集した竹藪となった丘陵があり、その間が堀切跡であろう。
県道12号線沿いに東山城、大木戸跡、田ノ岡城の道標が出ている。ここに史跡案内板があり、小川谷運動公園の北側にある丘陵が田ノ岡城である。
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