築城年代は定かではない。白地城主大西氏が長宗我部元親の侵攻に備えて修築し、家臣の大西石見守を置いて守らせたという。天正5年(1577年)長宗我部元親の侵攻によって白地城が落ち、その後大利城も攻められ、大西石見守は石堂峠で戦って討死したという。
大利城は標高612mの山に築かれている。
東の鞍部を通る石堂峠が旧祖谷街道であり、それを押さえる為の城と考えられる。
単郭の城で土塁の付いた曲輪をさらに横堀状の遺構が取り囲んでいる。現状土塁は北東と南東側に低く残るのみであるが、かつては深く全周していたという。
北西側の大利集落からの道が石堂峠の近くにある石堂山 仙龍院まで車道が付いているが、最後の民家のところからは未舗装路である。大利集落の道自体ナビに載っておらず、離合不可の道が延々続く。
国土地理院の地図で城跡の南西尾根に登る道があり、これも利用可能。ただし倒木があるのでこの道を車で登るのは難しい。
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