築城年代は定かではないが南北朝時代に小笠原頼清が築き、八石城と連携して南朝方の拠点としたという。
天正年間(1573年〜1592年)に白地城主大西覚養が長宗我部氏の侵攻に備えて改修し、わずか十三歳の弟頼信を城主とし、老臣寺野源左衛門を補佐に付けた。しかし、天正5年(1577年)長宗我部元親の大軍によって攻められわずか二日で落城した。
田尾城は銅山川が大きく蛇行する地点にある標高462mの山に築かれている。現在は公園として整備されている。
田尾城は南北二郭で案内板によると北郭が南北朝時代、南郭が戦国時代の改修とさせる。
南郭は円形で分厚い土塁が巡り、南方に虎口が開いている。円形土塁囲みの曲輪は土佐の山城によくある印象である。案内板によれば、かつて大手(南)に三重の堀切があったということだが、こちらは遊歩道の階段が付けられており、登る途中に石垣で造られた摸擬?の堀切があるのみである。南郭と北郭の間には三条の堀切があり、東西両側に竪堀として伸びている。
北郭は平坦面や緩斜面地形があり、列石などもあるが、どの程度が城の遺構なのかよく分からない。北端に北郭の標柱が建っている。
登り口である南の鞍部のすぐ南に長宗我部元親が陣を置いたとする場所がある。
南の鞍部まで車道があり、近くに駐車場もある。 麓の国道から山上に登る道は細く、ナビにも出てこないので、辿り着くのに苦労するかもしれない。山の東、西ともに車で行くことができるが、西の黒川側から登る方が分岐が少なく迷わないだろう。
最寄り駅(直線距離)