重山塚しげやまづか
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重山塚は亀丘城代であった波多重の供養塔である。弘治元年(1555年)壱岐の国人衆である牧山氏ら六人衆が蜂起して亀丘城代の波多隆を討ち、その弟波多重を城代に据えたが、六人衆はこの波多重も討ち取ることを協議する。身の危険を察知した波多重は城を脱して安国寺に逃れが、ここも知られて筒城方面に走り、筒城の白山に隠れたが、ついに見つかり謀殺されたという。