山城 橋本陣屋やましろ はしもとじんや
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万延元年(1860年)江戸幕府によって築かれた。
慶応4年(1868年)は楠葉台場とともに小浜藩酒井氏が守備していたが、鳥羽伏見の戦いで敗れた旧幕府軍が橋本陣屋や楠葉台場に撤収して滞在していた。そのころ対岸の梶原台場のあたりは津藩藤堂氏が守備していたが、新政府方となり、楠葉台場に砲撃を加えてきたため、旧幕軍もこれに応戦したが敗れ、大坂方面に撤収した。
橋本陣屋は現在の橋本公民館のあたりに築かれていた。
地表面には遺構がなかったが、発掘調査によって石垣などが検出されたようである。