詳細不明。朝倉氏の陣城とする説、羽柴方の丹羽長秀と若狭衆によって築かれたとする説などがある。
堂谷山城は三方湖や菅湖に面した標高134.4mの山に築かれている。
堂谷山城は三角点のある山頂部に主郭部があり、そこから南東へ伸びた細長い尾根に遺構が続いている。
主郭は南北に長い分厚い土塁囲みの曲輪Iで、その周辺を広い曲輪IIが巡るが、東から北側は通路程度の幅である。
主郭を囲繞する土塁の周辺には無数の石が散らばっており石垣になっていたことは容易に想像できる。石は内側にも積まれており、現在でも一部は積み残されている。
曲輪IIは西から南にかけて直線的に土塁が構築されており、虎口は西と南の2か所にある。
西の虎口1は見事な外枡形で堀切1で削り残した尾根を土橋として西の尾根に通じるが、そこからの通路は不明である。
南の虎口2は東側の土塁が南へ張り出して伸びており、尾根から登ってくると左側へ回り込みながら登ることとなり、尾根からは虎口が見えにくい構造である。
主郭の西と北は圧巻の大堀切で、ともに北西の谷側に竪堀を伸ばしている。東側にも堀切3がある。
主郭から南東へ伸びた尾根は細く、東側に土塁を連ね尾根南東端に曲輪IIIがある。 この尾根は土塁が食違って開口する虎口3の部分が一番低く、主郭、曲輪III側が高くなっている。この虎口3部分には谷筋から登ってくる山道がいまでも接続している。
曲輪IIIは西側の土塁は高く、東端は低く凹んで南東隅が開口している。この開口部には南東側の尾根から続いてる山道が接続しており虎口の可能性がある。
曲輪IIIから北東の尾根を下ると三条の堀切状の窪みと小さな削平地IVが確認できる。
高速道路の西側道の終点に駐車可能で、そこから谷筋に登って行くと左側へ登って行く山道に接続する。
山上にも植林に伴うネットが張られており、出入りできる場所が少なく難儀する。
最寄り駅(直線距離)