築城年代は定かではないが香川氏によって築かれたと云われる。
若狭香川氏は安芸の八木城主香川氏の系統と云われているが、武田氏の若狭入部に伴ってきたのかわかっていない。若狭香川氏の初見は大永年間(1521年~1528年)の香川大和守である。
若狭武田氏が没落して織田信長が朝倉氏と戦うために若狭にきたとき、熊川まで出迎えた若狭衆の一人に香川右衛門大夫がおり、その後、若狭国主となった丹羽長秀に属した。
麻生野城は麻生野集落と海士坂集落の間を東へ伸びた尾根上に築かれている。
西端の最高所が主郭で、江戸時代に愛宕神社が建立され、それによるものか、石を使った段を設けている。この主郭から東へ伸びた尾根に向かって段々と曲輪を連ねる構造になっている。
主郭の西背後は二重堀切2のあと、少し間隔を開けて堀切1で遮断する。北へ伸びた尾根は鉄塔整備道によるものか、やや改変されているものの、連続竪堀3の下に堀切4を設けている。
東端の尾根先は北東下に堀切5、東下に二重堀切6を設け、南尾根には堀切7がある。尾根先は二重堀切6の先にも小さな平段が続いているが、その先に堀切はなく、急坂で終わる。
南麓に宝重寺圓明堂があり、その奥に動物除けの柵の開口部があるので、そこから山に取り付いた。かつて愛宕神社の参道があったようであるが、登りではわからず、適当に登ることになる。下山時に参道らしきつづら折れの道を見つけたが、現状利用されておらず埋没している。宝重寺前に駐車可能。
北側から鉄塔整備道があるようなので、そちら側から登ることも可能だろう。
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