詳細不明。南麓に若槻里城、山上には若槻山城があり、それに関連する城と思われる。
若槻山城堂沢出城は若槻里城と若槻山城の中間付近の標高540m程の尾根に築かれている。この城は平成15年に若槻小学校の児童によって発見された城で堂沢出城と名付けられた。
堂沢出城の主郭部は大きく二段になり、一番高い部分が広く北西側に小高い土壇がある。この土壇の隅にl字の土塁があり、その外側に空堀状の溝が走っている。北背後はそれほど切岸が高くなっているわけではなく、防御構造としては弱い。
主郭部の南東側斜面は急峻で、南へは緩やかな尾根が続き登山道もこれに従って南へ伸びる。この尾根を降った標高110m程の所に西側に長い竪堀を落としている。