信濃 旭山城しなの あさひやまじょう

城郭放浪記


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信濃 旭山城の写真
掲載写真数
形態
山城(783m/90m)
別 名
なし
文化財指定
なし/不明
遺 構
石垣,土塁,郭,堀
城 主
武田氏,上杉氏
歴 史

築城年代は定かではない。史料による初見は天文24年(1555年)で、武田信玄が善光寺の別当栗田鶴寿を味方に引き入れると、上杉謙信が葛山城を拠点とし、信玄は旭山城に兵三千と弓八百張、鉄砲三百挺を送り込んで対応した。このときは長期戦となり、今川義元の仲介により和睦、その条件として旭山城の破却が盛り込まれていた。

弘治3年(1557年)武田信玄は葛山城を急襲して攻め落とすと、今度は上杉謙信が旭山城を修築して拠点とし武田氏と対峙した。 永禄4年(1561年)の川中島合戦の後、上杉方の守将小柴見宮内を討った武田氏が旭山城を占拠した。その後は海津城や長沼城が重要拠点となっていった。

説 明

旭山城は標高785mの旭山山頂に築かれており、葛山城とは裾花川を挟んで対峙している。

主郭は山頂にあって方形で土塁が周囲を巡っている。主郭の北東側は深い堀切によって断ち切られ、その外に小郭を挟んでもう一条の堀切が北尾根に残る。主郭から東へ伸びた尾根には堀切を挟んで東西に長い曲輪があり、その先も堀切と削平地が続き、先端に展望台となった曲輪がある。

旭山城は全体的に石積がされていたようで、その残骸が至る所に残っている。状態の良い石積は本丸の西側の南斜面辺りで、竪堀付近や南側の帯曲輪、横堀の所が良く残っている。

案 内

旭山の南側中腹にある朝日山観世音堂を目指す。観世音堂の駐車場からそのまま車道を歩いて行くと、しばらくして林道朝日山線入口の看板がある。この林道は直ぐに行き止まりとなるが、この終点から登山道が付いている。

最寄り駅(直線距離)
2.5km 長野駅
2.6km 権堂駅
2.6km 長野駅
2.6km 市役所前駅
2.7km 安茂里駅
所在地/地図
長野県長野市大字平柴
GPSトラックデータダウンロード :[KML形式 ][GPX形式 ]
付近の城(直線距離)
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2.7km 信濃 大峰城
2.7km 信濃 横山城(長野市)
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3.3km 信濃 広瀬氏館
3.9km 信濃 相木城(長野市)
3.9km 信濃 枡形城(長野市)
4.4km 信濃 平林城
4.5km 信濃 押鐘城
5.3km 信濃 内後館
5.5km 信濃 於下館
5.7km 信濃 若槻里城
5.9km 信濃 町田氏屋敷
6.1km 信濃 稲田本堀館
6.1km 信濃 尾張城
6.2km 信濃 大堀館
6.6km 信濃 若槻山城
6.6km 信濃 広田城
6.6km 信濃 若槻山城堂沢出城
6.8km 信濃 若槻山城番所
7.0km 信濃 鍛冶屋敷
7.1km 信濃 真島氏館
7.1km 信濃 戸部城
最終訪問日
2018年11月
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