信濃 平林城しなの ひらばやしじょう
△トップに戻る
詳細不明。永禄年間(1558年〜1570年)の城主は武田氏の重臣原美濃守虎胤であったと云う。
平林城は宝樹院の北東の辺りに築かれていた。現在はjrの敷地となって遺構はなく、石碑が建っているのみである。
碑文によれば、平林城は東西六十六間、南北五十六間で、東が本丸、西に二の丸があり、内堀と外堀を巡らせていた。昭和初期までは堀跡や土塁が残っていたが現在は完全消滅している。
宝樹院には原美濃守の奥方の位牌があるという。