信濃 松尾城しなの まつおじょう

城郭放浪記


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信濃 松尾城の写真
掲載写真数
形態
平山城(480m/60m)
別 名
なし
文化財指定
県指定史跡
遺 構
石垣,郭,堀,井戸
城 主
松尾小笠原氏
歴 史

築城年代は定かではないが室町時代頃に小笠原氏によって築かれたと云われる。

小笠原氏は室町時代に府中、松尾そして鈴岡の小笠原三家に分かれ、信濃守護および小笠原惣領職の座を争った。隣接する鈴岡小笠原氏とは当初良好な関係であったが、やがて伊賀良荘の領有を巡って対立することとなった。明応2年(1493年)正月小笠原貞基は、鈴岡城主小笠原政秀・長貞父子を松尾城にて謀殺し鈴岡小笠原氏を滅亡させた。

小笠原貞基は政秀の養子であった府中の小笠原長朝と幾度となく戦ったが敗れて甲斐へ逃れた。その後、松尾城に戻ってきたが、天文3年(1534年)に貞基の子貞忠は小笠原長棟に攻められ再び甲斐へ逃れた。

天文23年(1554年)武田氏が伊那へ侵攻した際には、定基の子小笠原信貴が先鋒として伊那に攻め入り小笠原長時の弟小笠原信定の籠もる鈴岡城を攻め落とし、松尾城主に復帰した。

天正10年(1582年)織田信長が信濃に侵攻すると、信貴の子小笠原信嶺は織田氏に降伏し、その後の高遠攻めなどで道案内をした。信長が本能寺の変で倒れると信濃に侵攻した徳川家康に降り旧領を安堵された。天正18年(1590年)徳川家康が関東に移封となると小笠原氏もそれに従い武蔵国本庄へ移り廃城となった。

説 明

松尾城は天竜川によってできた河岸段丘の東端に築かれている。南の毛賀沢川を挟んで鈴岡城と相対する位置にあり、現在は両城ともに公園として整備されている。

主郭は東端にあり、西から北側に空堀を巡らせ西に二の丸を配している。その西に三の丸などが続き広大な領域に築かれていたようであるが、この辺りは宅地や田畑になっている。

案 内
最寄り駅(直線距離)
1.0km 毛賀駅
1.6km 伊那八幡駅
1.6km 駄科駅
2.2km 鼎駅
2.2km 下山村駅
所在地/地図
長野県飯田市松尾(松尾鈴岡公園)
付近の城(直線距離)
0.3km 信濃 鈴岡城
1.5km 信濃 松尾館
2.2km 信濃 知久平城
2.7km 信濃 兎城
2.7km 信濃 虎岩城
2.8km 信濃 飯田城
2.9km 信濃 小林城
2.9km 信濃 愛宕城
3.2km 信濃 北原城
3.8km 信濃 龍江城山城
4.0km 信濃 原ノ城
4.3km 信濃 飯沼城
4.4km 信濃 伊久間城
4.4km 信濃 富田城
4.8km 信濃 今宮城
4.9km 信濃 神之峰城
5.1km 信濃 久米ヶ城
5.2km 信濃 桜山城
5.2km 信濃 三ツ山茶臼山城
5.4km 信濃 伊豆木城
5.5km 信濃 伊豆木陣屋
5.6km 信濃 麦種城
5.8km 信濃 座光寺南城
5.8km 信濃 切石城
最終訪問日
2011年4月
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